歴史

いままでも、そしてこれからも続く先駆の精神。

炭平グループは、慶長時代、善光寺の門前町の一角を創業の地とし、商いの光を灯した時代から、常に先駆の精神を忘れることなく、今日まで成長してまいりました。新しい可能性に向けたチャレンジ精神は、異業種への大胆な展開にも発揮され、その活躍は大きな期待を集めています。

歴史:イメージ
慶長19年(1614年) 初代鷲澤家善光寺西之門町の一角に創業。
炭屋平六の屋号で数代の後、炭・養蚕器具・雑貨商を商う。
明治26年8月14代鷲澤平六が近代産業の基礎とも言うべきセメントに着目して当時の浅野総一郎氏(アサノセメント創業者)とセメントの販売を特約、信越線開通前馬の背に樽を積んで碓氷峠を越え、長野県下に初めてセメントを販売する。
昭和23年7月鷲澤家個人経営から「株式会社炭平本店鷲澤平六商店」に改組、15代鷲澤平六が初代社長に就任。
昭和27年1月本社を西之門町から昭和通りに移転。
12月「株式会社炭平鷲澤本店」に名称変更。
昭和37年12月15代鷲澤平六死去。
昭和38年1月鷲澤正一が社長就任
10月生コン工場を長野市稲里町に県下操業。
(S42年11月JIS工場認可)
昭和40年3月社名を「株式会社炭平本店」に改称。
昭和41年1月長野市内4ヶ所の倉庫を統合して、国道18号線長野バイパス高田地籍にバイパス営業所を開設(長野支店の前身)
4月松本市渚に松本営業所を開設。
昭和43年3月山梨県白州町に生コン工場(S44年JIS工場認可)を完全操業。
茅野市宮川に茅野営業所を開設。
昭和44年10月南松本総合卸売団地内、松本営業所を新設移転。
昭和45年3月本社を昭和通りから長野市高田に移転。
6月松本市芳川に炭平団地(独身寮・世帯アパート)を建設。
昭和46年7月事業部制を採用。長野営業部、工事事業部、長野生コン工場、松本支店、白州生コン工場、東京支店、管理部を設置。
長野市北長池に、工事事業部と新建材営業所を新築移転。
昭和48年1月長野営業部を分割、セメント建材事業部、新建材事業部、東信営業部の三部門を新設。
小諸市滋野に東信営業部(現在の小諸支店)の社屋を新築開設。
昭和50年10月下伊那郡鼎町(現在の飯田市)に飯田営業所を開設。
昭和51年1月IBMシステム32を導入し電算事業化を開始。
10月長野市若穂に長野生コン工場を新設移転。
昭和53年2月長野・白州生コン工場を分離し炭平興産(株)に統合する。
10月長野市北長池に本社社屋と倉庫を建設し組織統合して、本社、長野支店、工事事業部とし、東信営業部は小諸支店とする。
昭和55年1月富士見町に社員寮(炭平社員寮)を建設。
4月新潟県刈羽郡刈羽村に柏崎営業所を開設。
昭和57年1月全支店、営業所の業務処理の電算化が完了。
昭和58年2月長野支店に工事事業部を統合。
昭和60年1月IBMシステム36を導入。漢字化開始。
10月東芝の特約店として、電機事業部を開設。
昭和61年5月茅野営業所を移転し、諏訪市赤沼に諏訪営業所として開設。
平成元年6月大町市、大北建材(株)内に大町営業所を開設。
平成2年1月炭平コーポレーション(株)を設立。
平成3年6月下伊那郡松川町に飯田営業所を新設移転。
10月諏訪市中洲に諏訪営業所を新設移転。
平成4年5月IBM AS/400を導入。
6月松本市笹賀に松本支店を新設移転。
7月東京支店を本郷三丁目に移転。
平成5年11月長野市北長池の本社土地に新本社ビル(5階建)を建設。
長野支店に電機事業部を統合。
平成6年3月炭平興産(株)坂城工場内に坂城営業所を開設。
平成8年3月環境事業部を新設。
平成13年2月新組織に移行。販売本部、工事本部、仕入本部の3部体制を導入。
長野支店に坂城営業所を、松本支店に大町営業所を統合。
営業支店は長野、小諸、松本、諏訪、飯田、東京、柏崎の7支店とする。
3月営業担当者・管理担当者にパソコンを配布。
ロータスノーツ導入により社内ネットワークを構築。
9月鷲澤幸一が社長就任
平成17年3月(株)炭平本店と炭平コーポレーション(株)を合併。資本金を1億円とする。
5月イーグルポリマー事業部を新設。
平成18年10月生コン事業部を新設。
平成21年3月すみへいカルチャーセンターを新設。
平成23年10月ライフエコロジー事業部を新設。
平成24年6月仙台営業所を開設。
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